Special Windows 10 issue 20155

Volume 30 Number 11

編集長より - 3.0 から続く道

Michael Desmond | Windows 2015

Michael Desmond四半世紀前、マイクロソフトはその長い歴史の中で最も重要なソフトウェアをリリースしました。それが Windows 3.0 です。Windows 3.0 は Windows の最初のバージョンではありませんでした。また、最高の Windows というわけでもありませんでした。しかし、最も大きな衝撃を与えたという意味で、最も重要な Windows でした。当時は PC 業界の主導権争いの真っ只中で、Windows 3.0 のリリースがマイクロソフトの独占的地位を固める端緒となりました。その後 20 年にわたる PC プラットフォーム (さらには、ソフトウェア開発と IT) の進化の道筋を定めたリリースといえます。

Windows 3.0 が市場に投入されるまでは、PC プラットフォームの行く末がまったく異なる方向に進んだとしてもおかしくはありませんでした。Windows 2.0 はありふれたグラフィカル操作環境で、GEM や DESQview のような製品が、革新的な UI やマルチタスク機能を売りにしていました。同じころ IBM は、DOS の後継 OS として OS/2 の開発を手伝うようマイクロソフトを説得していました。

すべてが変わったのが、1988 年のある月のことです。マイクロソフトのエンジニア David Weisse と Murray Sargent が、Windows 2.x のカーネルや DLL ライブラリなどの資産をひそかに切り刻み、Windows が 286 PC の保護モードで実行されるようにしたのです (Sargent のすばらしい回想が bit.ly/1O6glhy (英語) で公開されています)。640 KB というメモリの制約がなくなり、これに対応するドライバーやグラフィック処理によって可能性が広がった Windows は、以前よりもはるかに優秀な OS になりました。後に報告を受けた Steve Ballmer と Bill Gates は、即座にこの極秘プロジェクトを認め、Windows 3.0 は公式プロジェクトとして日の目を見、1990 年のリリースから 2 年で 1,000 万セットを売り上げました。

Windows 3.0 は実にたくさんのことを成し遂げました。マイクロソフト OS の外観を確立し、それは 2012 年の Windows 8 のリリースまで引き継がれることになります。Windows 8 では、マイクロソフトは当時の新興市場へのアプローチを思い出したかのように、独自のグラフィカル OS を開発することになります。しかし、その試みは最終的にプラットフォーム自体に適応力があることを証明しています。

四半世紀前のマイクロソフトは、不安定な Windows 市場に新たな命を吹き込み、その後 20 年間におよぶパーソナル コンピューティングの方向性を決めた有力な新興企業でした。この実績は今でも耳の中にこだましています。マイクロソフトがリリースする OS の最新第 3 版、Windows 10 は大きな前進を表しています。洗練されひとつにまとめられたデュアルモード UI から、広範囲にわたるマイクロソフトのユニバーサル Windows プラットフォーム (UWP) ビジョンまで、Windows 3.0 が 25 年前に実現したことを多くの点で思い起こさせます。Windows 10 は、プラットフォームの可能性を広げ、開発者にもエンド ユーザーにも進むべき道筋を示します。

Windows 開発者は、多岐に渡るアプリを作成するようになりました。"モノのインターネット" のごく小さなデバイス、部屋全体を占める巨大ディスプレイを備えた Surface Hub、スマートフォン、タブレット、PC など、Windows 対応のあらゆる最新クライアントがターゲットになります。さらに、Android や iOS のモバイル アプリを開発する開発者との橋渡しの役割も担い、仮想化を使って従来の .NET ベースや COM ベースのアプリケーションへの完全なサポートも提供します。

四半世紀前、グラフィカル時代の岐路に立っていました。現在は、デバイスに応じたコンピューティングがさまざまな場所で求められ、タッチや音声への対応が必要な時代に突入しました。Windows 10 は、この現代の岐路の Windows 3.0 になるのでしょうか。


Michael Desmondは MSDN マガジンの編集長です。